出典:Official Hornsea Site
1950年代の半ば、ローソン兄弟はあることに気が付きます。
最初の出資をしてくれた友人のフィリップ・クラピソンの息子、ジョン。彼がデザイナーとしての可能性を持っていたのだそうです。父親が友人達と始めたビジネスを幼い頃から間近に見てきたのでしょうね。そんな彼をホーンジー社のデザイナーとして迎え入れます。
同時期に優秀なデザイナーが何名か加わり、さらに売り上げを伸ばします。
そしてお土産屋さんだったホーンジー社がついに、「食器メーカー」としての活動を開始します。
この頃なんとホーンジー社は、ファミリー層をターゲットとした、「工場見学の出来るテーマパーク」を開業します。すごいですね!ゴーカート、ボート、自動車博物館、木製の大型アスレチック。さらには動物の展示…大人向けにはカフェやグッズ販売があったそうです。
あまりにも現代と同じような内容の事業なのでその凄さがピンとこないかもしれませんが…。
1950年代の日本は、戦後やっと人々の暮らしが立ち上がってきた頃です。「三丁目の夕日」の映画をイメージするとわかりやすいです。1950年代後半には家電製品もあり、動物園、遊園地も開業されていた時代ですが、今のように一般的な家族がしょっちゅう遊びに行ける経済状況ではなかったと言えます。
同じくしてイギリスでは、階級社会から抜け出そうとするエネルギーに満ちた時代でした。職業や家柄によって暮らしに差があり、それが根強く残っていたのです。
この事から推測できるのは、ローソン兄弟も観光事業により、地元の人々の暮らしを豊かに!という熱い想いを持ってホーンジー社を経営していたのでは?ということです。
子どもの笑顔をつくるテーマパークを始めた裏側が少しわかる気がしますよね。
ちょっと脱線しました。
ホーンジー社の歩みに戻りましょう。
ホーンジー社の危機
事業を拡大し、従業員も700人を超える大きな企業へと成長したホーンジー社。
1980年頃、第二の工場として1974年に作られたランカスターでの開発費、生産損失により、経営は傾き始めます。銀行からチームが派遣され、経営陣が一新されたりと、経営スタイルに変化があったのだそうです。日本からヨーロッパへ食器の輸出が盛んになったり、安価な陶器が増えたりと、世界的にも陶器業界に動きがあった時期でした。
そしてついに2000年には工場は閉鎖されて、その跡地は住宅地として再開発されてしまいます…。
解散後、旧スタッフはどうなったのでしょうか。
フィリップ・クラピソンの息子であり、デザイナーとしてホーンジー社を支えていたジョンは、1984年の解雇後、ロイヤルドルトンに就職します。そうです。ウェッジウッドで有名ですね。
他のスタッフ達は1982年に設立されたパークローズポタリーに入ります。可愛らしくユニークな商品が多く、かつてはIKEAとの取り引きもあった企業です。
ホーンジー廃業後も、スタッフ達は同じ陶器業界で活躍していたのですね。